下山ダニーロの気まぐれ日記

95年生まれサラリーマンの日記です。

散歩と資本主義と幸せ

 昨日、明るいうちに仕事が終わったので帰ろうかと思うと、外はとても心地の良い気温でした。僕は無性に歩きたくなり、日暮里~上野間を散歩しました。

 ルートとしては日暮里の南口改札を出て西に進み、谷中霊園→上野桜木エリア→上野公園→上野駅の順に歩きました。まず駅を出てすぐの谷中霊園に入った瞬間、異世界に飛んだような錯覚を覚えました。ほとんど人がいない中で、偉人のお墓が並ぶ独特の雰囲気と、緑豊かな自然に癒されながら歩く時間はとても心地良いです。

 谷中霊園を抜けると、上野桜木エリアに出ます。ここでは、一度都会に戻りつつもどこか懐かしい雰囲気を感じることができます。(セブンイレブンさえ無ければ完璧...)

 上野桜木エリアを抜けると、上野公園に入ります。上野公園に入る前の道では、地下に京成線が走っているので時折音と振動があります。公園に入ると、どこも散歩道として整備されておりカフェ等も充実していて、谷中霊園とは違った心地よさがあります。上野動物園から動物たちの声が聞こえるところも個人的には好きです。

 上野公園を抜けると一気に上野駅前に出るので、今度は逆に異世界から現実に戻ったような感覚を覚えます。どのくらい時間が経っていたのかはわかりませんが、上野駅に着いた時にはあたりは真っ暗になっていました。時間や暗さを感じないくらいに心地よい時間を過ごすことができました。

 ここまでのお散歩日記からわかる通り、僕はこの心地よい散歩の中で快感や幸福を感じていたわけですが、心地よさだけでなく「無料」という点でも快感や幸福を感じていました。なぜかというと、本来この資本主義社会では、快感を得る、また不快感を避けるためにはお金を支払わなければいけないように出来ているためです。家に住むのもご飯を食べるのも、生きていくうえで行うことはすべて、快感や幸福を得る、また不快感を避けることが目的で行われており、原則お金が発生します。そしてそのお金を支払う(快感を手に入れる)ためには、労働で不快感を覚える必要があるのです。

 これを考えながら散歩をして思ったことは「労働による不快感が稼いだお金によって得られる快感と等しい、もしくは下回っているようであれば、いくらお金を稼いでも意味がないのではないか」ということです。つまり、資本主義社会で幸せに暮らせるか否かは「労働をはじめとした不快感による支出」と「不快感以外の時間で得られる快感による売上」の差で生じる「利益」によって決まるということです。ここで大事なのは、収入は必ずしも売上にならないということです。お金の使い方次第で得られる快感は全く異なるので、快感を得られて(不快感を避けられて)初めて売上となるのです。つまり、いくらお金を稼いでいたとしても、労働環境やお金の使い方次第で幸せとは程遠い人生を歩むことになります。

 したがって、無料で快感を得られる散歩は、実はとんでもなく凄いことなのです。もしこの文章を読んで散歩したくなったら、GW期間中等、是非暑くなる前に行ってみてください。快感という軸で考えると、今が一番お得に散歩できます。笑

ではまた。