下山ダニーロの気まぐれ日記

95年生まれサラリーマンの日記です。

「期待しない」ことで得られる幸せ

 僕は全くもって平凡な人間ですが、唯一誇れる才能が、タイトルにもある「期待しない」ことです。現在ある程度幸せに生活できていることも、過度な期待をしなかったことよる要因が大きいと思います。

 僕の生い立ちを話しても面白くないので、一つ例を出します。互いに25万円の収入を貰えるケースで「30万円貰える期待をしている人」と「20万円貰える期待をしている人」とでは、25万円を貰った際の感情は正反対になります。おそらく30万円を期待した人はガッカリし、20万円を期待した人は幸せなはずです。日常でこのどちらに傾く回数が多いかで、幸せの度合いが決まってくると僕は考えます。

 ここまでは当たり前の話ですが、次のケースではどうでしょうか。「1億円の収入を貰えると期待して8,000万円貰った人」と「20万円の収入を貰えると期待して25万円貰った人」のケースです。僕は25万円の収入を貰った人の方が幸せだと考えます。一つの根拠として、プロスポーツ選手の移籍があります。

 スポーツ界では、十億単位の収入を毎年貰っているにも関わらず、レベルの落ちる環境であってもさらなる収入UPを求めて移籍する場面が、しばしば見られます。十億単位の収入を貰っていても収入に幸せを感じていない、つまり期待の度合いがとてつもなく高いということになります。

 ではなぜスポーツ選手に期待の度合いが高い人が発生するのでしょうか。それは、一部のスポーツ選手は期待を成長の肥やしにしているためです。前述の通り、人は期待を達成できないとガッカリします。その感情を生み出さないために、彼らは期待をやめるのではなく、期待に応えるべく努力をするのです。僕はサッカーをやっていることもあり、この思考に一定の理解とリスペクトがあります。しかしながら、この思考によって幸せを獲得できるのは、プロ等の一握りといえる所まで上り詰めた、ごく僅かの人に限られます。(経営者やホストでも同じことが言えます)※余談ですが、このガッカリを挫折と呼びます。

 一握りに入れなかった多数の人は、この思考を止めない限り期待を超えられず、幾度となくガッカリすることになります。なのでどこかで期待をやめ、折り合いをつけることが必要なのです。

 そしてよく勘違いされているのが、スポーツ選手には過度な期待をせずとも小さな成功をコツコツと積み重ね、プロや一流になった選手も数多くいるということです。大きな挫折から努力を積み重ねる過程は美しいことからクローズアップされがちですが、期待を肥やしにせずとも人は成長できると僕は思います。

 スポーツ選手のような極端な例でなくとも、僕たちは知らず知らずのうちに、期待の度合いが上がっていってしまいます。なので、幸せに生きるためには、日々の振り返りをしながら、当たり前に享受しているものへのありがたみを感じ、過度な期待を削ぎ落とし、小さな期待を数多く超えることが大事だと考えます。油断せず幸せな人生を送りたいですね。ではまた。